中国の伝承薬「六神丸」の処方を
はじめて日本に伝えました。
「六神丸」と名の付く漢方薬は100種を超えますが、最も古いのは「亀田六神丸」
-通称「カメロク」です。
「カメロク」を作り続けて110年。創業明治27年の伝統と誇りがあります。
創設者 亀田利三郎
発祥
亀田利三郎薬舗は明治27年に創業。亀田「六神丸」をつくり続けて125年。現在の社主で4代目となります。亀田家は近江国甲賀郡(滋賀県)の出身。江戸中期・元禄のころ京都へ出て、五条室町に店を構えました。 弊社は、代々「井筒屋利兵衛」の名で紅商を営んでおりました。のち呉服商に転じ、 六代目利兵衛の長男・利三郎が中国の景徳鎮へ渡航した際、上海で病気になり、現地で入手した六神丸でたちまち快癒しました。このことをきっかけに、六神丸を日本へ輸入し売り広めようと考え、「雷氏方」という処方を学んで帰国しました。
明治期〜大正期
長崎の出島には江戸時代から輸入品として六神丸が入っていましたが、日本製のものでは、弊社の亀田六神丸が、いちばん古い歴史をもっています。 六神丸が日本に生まれた明治時代は、今に比べると、食糧事情も衛生環境もけっしていいとはいえない時代でした。食品に賞味期限や消費期限が表示してあるわけもなく、食べてみてはじめて食品の「傷み」や「腐敗」がわかる、そんな時代でした。当時、六神丸は爆発的に売れました。時代は進み、大正時代にスペイン風邪が大流行した際には、問屋が店の前に行列を作り、できたばかりの六神丸を奪うように持ち帰るほど、よく売れたといいます。現代のように病院もなく、近所にドラッグストアもない時代、有効無害、亀田利三郎の六神丸は、安心の「和漢伝承薬」として、お客様に信頼されてきました。その効能や評判は変わることなく、いまに受け継がれています。
現代の話
亀田六神丸発売の後、「仙丹」、そして大正元年に「小児六神丸」を発売いたしました。カメロク胃腸薬を発売しようと試験研究を繰り返しましたが、100%自信のある商品とならず、発売見送りとなりました。
2012年、大正元年に「小児六神丸」を発売して以来、100年ぶりの新製品・天然漢方スパハーブ「玄武ゆ」を発売し、翌年から1つずつ時間をかけて丁寧に6種類にまで増やしました。京都は四季がはっきりした、言わずと知れた観光都市です。しかし盆地であるため、夏は蒸し暑く、冬は底冷え、生活するには厳しい街です。ですが、天皇陛下もおられた1200年の町です。生活を楽しむ快適な知恵が多くあります。底冷えを知る京都人が体の中からぽかぽかになるものを作りたい、そんな思いから新商品を開発しました。
現代の人たちと昔からの「家庭薬」をつなぐ架け橋を目指します。
現代の話
亀田六神丸発売の後、「仙丹」、そして大正元年に「小児六神丸」を発売いたしました。カメロク胃腸薬を発売しようと試験研究を繰り返しましたが、100%自信のある商品とならず、発売見送りとなりました。
2012年、大正元年に「小児六神丸」を発売して以来、100年ぶりの新製品・天然漢方スパハーブ「玄武ゆ」を発売し、翌年から1つずつ時間をかけて丁寧に6種類にまで増やしました。京都は四季がはっきりした、言わずと知れた観光都市です。しかし盆地であるため、夏は蒸し暑く、冬は底冷え、生活するには厳しい街です。ですが、天皇陛下もおられた1200年の町です。生活を楽しむ快適な知恵が多くあります。底冷えを知る京都人が体の中からぽかぽかになるものを作りたい、そんな思いから新商品を開発しました。
現代の人たちと昔からの「家庭薬」をつなぐ架け橋を目指します。